★2025年2月19日(水)t-6971号★
チャオです〜!
おはようございます。
「置きに行かない」
ミチオさんです。
昨日はとあるオンラインミーティングにて、
それぞれの意見を持ち寄り議論する機会がありました。
「少子高齢化のうち、高齢化については問題ではないのでは?」
という仮説を掲げる御仁がいて、
「敢えて極論を申し上げれば、
人は皆85歳くらいでお亡くなりになった方が、
社会全体としては健全な運営が保たれるのでは?」
という仮説を私は抱いている、
ということを申し上げましたら、
さすがに議論は盛り上がりました。
何十年にも渡って社会的に重要な判断を行うポストを譲らない人がいる、
だったり、
高齢者の人口比率が増える一方では、
多数決による社会的な政治判断が短期的視点に傾きがちになるのでは?
というような個人的な問題意識を率直にぶつけることで、
場の議論を活性化させると同時に、
「こういう民間レベルの平場での議論でこそ、
それぞれが本音を開陳し合うことで身の回りの社会が、
前向きに回り出す駆動力になるのでは?」
と常日頃から私が思っていることが、
敢えて極論を言ってみた理由であることを申し添えました。
高齢になっても働いたり生きがいを感じられる場所を整備して、
高齢という理由だけで阻害されない社会にしていく体制や各人の心構えが、
まずもって肝要なのでは?という
「総まとめ」
のような考察によって議論は一旦締めくくられて、
全体的に納得感のある議論が出来たなぁ、と私も感じました。
こういった平場での議論で、
「置きに行く」
ような当たり障りのない発言をする人を問題視する私の視点に、
同意したり共感したりする態度を見せた人が複数いらっしゃった気がして、
少し安心もしました。
「個人の本音と社会的な建前との大幅な乖離」
が、
「個々人の幸福感や自己肯定感を低減させている」
気がするんですが、
ちょっと冒険して本音を晒してみる、
という態度を繰り返していると、
自分と異なる意見に相対した際、
「確かにそういう視点もありえるかも?」
という風に、
他者の意見を一旦、
自分なりに咀嚼する態度も育まれて行くような、
そんな気がしている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)なのでした。
個人や社会の本音と建前を戦わせたり譲り合わせたり、
追求したりして融合させた先に出来上がる、
「結晶のようなもの」
が、いわゆる
「一つなぎの秘宝」
なのでは?というロマンを個人的には抱いています。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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