天平9年(西暦737年)、
正倉院文書「写経勘紙解(しゃきょうかんしげ)」にはすでに越前という記述があり、当時から越前和紙の技術水準がいかに高かったかがうかがい知れます。
また明治には、越前の紙職人が開発した政府の証券用紙が認められ、ベルサイユ条約の正文用紙として採用されています。
そして何よりも、私たちの生活に身近な紙幣は、越前和紙の技術を基礎に作られています。
越前和紙の起源は、
この地に生誕した継体天皇(在位507~531年)が男大迹王(おおとのおおきみ)と呼ばれた頃に、
岡太(おかもと)川上流に、女神のような「川上御前」があらわれて、紙漉きの業を丁寧に教えたという紙祖伝説として語り継がれており、
今も「おみね」と呼ばれる岡本地区を一望出来る山のつらなりに「川上御前」が「紙の神様」として厳かに祀られています。
言うなれば、紙は1000年を越えるコミュニケーションツール。
水と樹木から紙を漉き、それを生業としてきたという地域は日本津々浦々にありました。
元来、紙も紙漉きの里も、人々の生活の身近なところにあったのです。
そんな数多ある紙漉きの里の中でも、特に「和紙の里」として広く知られている地域が全国にいくつかあって、越前(福井県越前市岡本地区)もその中のひとつであり、
1500年の歴史があるとも語られています。
1000年という長い時間の流れの中で常に、
人々は紙に対して友好的かつ挑戦的であり、
1000年という長い時間の流れの中で常に、
人々の生活のすぐそばに紙があった。
少なくとも私たちにとって、越前和紙とは単に紙を意味するものではありません。
それは技、知恵、歴史、勝利、生活、情熱、成功、挫折、苦難、失敗、転落、闇の繰り返しであり、
とても一口で言い表せるようなものではないのです。
この土地に気が遠くなるような時間をかけて積み重ねられた、
人々の紙への想いや経験のとてつもなく大きな「かたまり」があるとするならば、
それこそが越前和紙なのです。
そして私たちは、その偉大であり巨大である伝統を目の当たりにしても尚、勇敢でありたい。
その大きな「かたまり」をさらに光り溢れる方向へ導きたいと願うのです。
1000年を越え人々と関わってきた紙。
さらに次の1000年は...?
立ち止まると目の眩みそうな巨大な歴史の中で、越前和紙はたった今も動き続けています。