★2022年10月27日(木)t-6126号★
チャオです〜!
おはようございます。
「勝ち負け」
ではなく、ミチオさんです。
「勝ち組」
とか、
「負け組」
とかの表現の仕方に前々から違和感を感じていながらも、
そういう表現の仕方をすることも、
分かるっちゃあ、分かると思っていました。
「働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。」
の記事を読んで、色々と考えさせられました。
20代の頃、職を失い、
「無職」
の状態で数ヶ月を実家で過ごした経験があるのですが、
その頃、私が、
「やっぱり働かなきゃ!」
と思ったのは、
親や血縁者に申し訳ない、という罪悪感や、
友人知人に会わせる顔がない、という劣等感に起因する部分が大きいと、
今となっては感じます。
で、結果として働くということを四半世紀以上続けてきて思うのは、
「働いている最中に生きていることを実感する瞬間がある」
ということであり、
賃金を得て生活するために働く、
という要素も大きいけれど、
「俺ってよくやってる方だな」
という風に自分で自分を肯定的に受け止めるために働く、
という要素も少なからずあるなぁ、と感じたりもします。
ただ、働いている中で、
「強い精神的な衝撃」
を受けたり、あるいは、
「肉体的に大きな負傷」
を負ったりして、
「どうにもこうにも働けない」
という人が少なからず存在する、ということも、
訪問看護師さんなどからの体験談を聞いて知っているので、
「生活保護」
は社会にとって必要不可欠な制度だし、
そういう制度が確立されている日本社会はある程度、堅牢だと思うわけです。
愛息、
「智朗(ともろう)」
のように生まれながらに身体がとても不自由で、
他者との意思疎通もなかなか簡単でない人を間近で見ていると、
「生活保護」
というセーフティネットはとても有り難い、けれども、
「出来なさそうなことにトライする機会を増やす」
という意味では、
何かしら働くことができる舞台を用意したいと感じますし、
その方が、
「生活の質も上がるのでは?」
と考えます。
いずれにしても、生活を営みながら経験を重ねて、
「価値判断の基準を自分の中に築き上げた人の強さ」
というものに想いを馳せている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。
勝ちとか負けとかいう言葉で、
人の生きる価値を推し量ろうとすることは、
社会全体で見るとネガティブな効果の方が大きいような、
そんな気がするんですよね…。
+---
*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
Copyright(C) 2022 TAKIPAPER
-+-