ザカタキ! 第7153号 -人工的競争-

★2025年8月20日(水)t-7153号★

チャオです〜!
おはようございます。

「協調」

したいミチオさんです。

リハックの過熱する母と受験戦争の裏側

を見まして、その後、

県立岐阜商業横山選手のファインプレー

を見ました。

県立岐阜商業横山選手のファインプレー

の捕球の瞬間を何度見ても、
見るたびに目頭が熱くなるのは、
体が不自由であることの大変さを跳ね返すように、
長期間、努力、研鑽を続けてきたご本人の勇姿が想像できるからです。

それにしても、

「受験戦争」

とか、

「死闘」

とかの形容表現を、
受験や高校野球に用いることに、
強い忌避感を覚えます。

実際に戦争ではないし死者は出ない、
とは思うんですけど、
受験とか野球とかに取り組む過程で、
結果とか成績とかミスとかを気に病んで、
自死や自傷行為に及ぶ状況は、
現実的に存在しそうで、
体が不自由な愛息と暮らしながら、
週末里親などをしている私としては、

「勉強やスポーツに打ち込めるだけでも立派で幸せなこと」

だと感じるわけで、なんというか

「本当に同じ世の中の出来事なのだろうか?」

という気持ちにもなります。

でも、もし愛息が健康優良児だったとしたら、
塾に通ったり野球とかのスポーツに懸命に取り組む愛息を、
血気盛んに応援してた可能性は高いとも思うので、

「置かれた環境が人間の考えを育む」

と感じますし、また、

「人口が集積するにつれて人は人工的な競争環境を好む」

という性質があるのかも?とも思います。

そして、

「良い子育て」

について、具体的な項目を社会全体の深い納得、コンセンサスのもとに実践する、
というのは、とても難しいだろう、と感じます。

専門的な学習塾に通っている人たちや、
長年野球に取り組んで全国大会に出場するような人たちは、
試験とか野球とかの、

「競技的なものに一般人とはかけ離れたレベルで習熟している」

と思うんですけど、

「習熟している状態に満足できない」

で、

「習熟している人たちの中での技能・技術・能力的なわずかな差分」

に、

「こだわったり、一喜一憂する」

わけで、私のような外側にいる人たちも、

「そのわずかな差に魅了される」

性質があることが、なんだか厄介であり、更には、

「面白さ」

でもある気がします。

為末大さんの旬を過ぎた後の生き方

は、なんとなく参考にしたい気持ちがある、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)なのでした。

それにしても、

「受験戦争」

は、

「受験競争」

に直して常套句化されるべきはず!、
というのが個人的見解です。

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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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カテゴリ:ともろう, 社会

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