★2018年2月26日(月)t-4431号★
チャオです〜!
こんばんわ。
「死ねない」
ミチオさんです。
妻曰く、愛息、
「智朗(ともろう)」
が、パラリンピック選手の本を読んだ後、
「自分の生きる意味」
について文字盤で見解を伝えてきたそうです。
「生きる意味は自分で考えていくのがいい」
ということで、
44歳の私も諸手を挙げて同意してしまうような内容を、
シンプルに表しているなぁ...、
と感心しています。
確かに愛息は体の自由がきかない分、
「悶々と考えている時間が長い」
ように見受けられるんですけど、
かと言って自分が同年代の子供だった時も、
小学生になったら死んでしまいたい、
とか、中学生になった時こそ死んでしまいたい、
とか、とりあえず家出したい、
とか考えていたことを思い出しました。
生命力が旺盛な時ほど、
自分の死を恐れにくいということもあるのかなぁ...、
と思ったりします。
近親者や友人が亡くなったりして、
死というものを客観的に見る機会が増えたり、
生きているうちに、
家族や仕事の上で、
単独で生きている以上の枝葉がついてきて、
「生きる意味」
というよりも、
「死ねない理由」
ができて、
生きている意味性を問う機会が減り、
私はこの頃はそういうことに考えが向かないでいますが、
生きる意味は、
生きている間中、
自問自答させられ続けるテーマなのだろう、
と思うわけです。
私にとっては、
「息子が生きているそれだけで大いに意味がある」
ことですが、
その部分と息子の問題意識も若干方向性が違う気もしますけど、
愛息の生きる意味については、
「ミチームの大テーマ」
であることを再度噛み締めている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。
唐揚げを食べてビールを飲んでいる時も、
「生きててよかった」
と思ったりしますが、
食欲や体の元気が衰えてきた時には、
「元気だった頃の思い出」
がどのように作用するのかも、
私には未踏の分野です...。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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