ザカタキ! 第6821号 -認知症の日-

★2024年9月21日(土)t-6821号★

チャオです〜!
おはようございます。

「純心」

を持ってたはずのミチオさんです。

今日は、

認知症の日

だそうです。

igokuの猪狩さんが明け方に投稿されていた、

認知症になった先生と、医師となった教え子の物語

の動画を見て私が最初に感じたのは、

「純心」

という言葉です。

「純心同士のセッション」

とも言えるかも知れません。

お互いの心の輪郭を確かめ合い、認め合いながら、
緩やかに展開する会話から伝わってくる、
体温のようなゆるい温もり感が、
とっても素敵だと感じましたし、

「認知症=凶悪でなるべく回避したいもの」

という、これまでの私の中の先入観が、
動画を見てから数時間の間に、
かなり方向性を変えた感覚があります。

10年以上前、
愛息が重篤な状況になったことを知った祖母、

「豊子女史」

の認知機能が急激な変化を見せたことや、
その後も折に触れて、
丁寧な手紙や繊細なちぎり絵細工をもらって励まされたことを思い出しましたし、
改めて泣けてきました。

「幸せという概念」

と、

「人が純心でいられる時空間」

は、近接しているというよりも溶け合っている、
と言えるかも知れないとも感じました。

冷静に振り返って考えてみますと、
小学校に上がる前や上がったすぐくらいの、

「純心な時期の無心さ」

が、最も幸せに近い感覚だったのかも知れない、
とも思えます。

将来、安定的な収入が得られるよう、
世間的に良い学校に行き、世間的に良い会社に入るために、
勉強して他の人と比べられても落ち度がないようにしよう、
というような考え方は、
至極真っ当だと思いますし、
自分の中に今でもかなり根付いていますが、
そういった考えから派生する判断や行動を繰り返している間に、
気がついたら、

「純心とは随分かけ離れた場所に辿り着いてしまっていた」

という感覚もあるわけです。

幸せは歩いてこないだから歩いてゆくんだね

という歌は、

「遠い場所に幸せがあるというイメージ」

だと思うんですが、もしかしたら、
幸せは見えないだけで自分の近くにいつもあるのかも?
と思いましたし、
目的地にたどり着くための体力や精神力よりも、むしろ

「察知力」

が鍵を握っているのかも知れない、と感じ始めている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。

大谷さんも真田さんも小豆畑さんも木村さんも、
立派で素敵だと思うわけです。

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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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