★2023年8月14日(月)t-6417号★
チャオです〜!
おはようございます。
「中央集権寄り」
かも?な、ミチオさんです。
に続いて、
「イーサリアム」
を読み進めています。
平易な言葉で書かれているものの、
指し示そうとしている概念自体がとても難解である、
というのが個人的な印象です。
には、
「憧れと警戒感を同時に持っている」
というのが、
「中央集権的な意思決定プロセスの組織の数々」
の中で生まれ育ってきた私の現在の所見です。
学校だって会社だって役所だって自治会組織だって、
なんなら私が代表を務める小さい会社でさえ、
その組織の中では、
民主的な意見介入の余地を残しつつも、
基本的には中央集権的な意思決定プロセスで成り立っている、
という現状認識があり、
「議論や意見が錯綜し紛糾した場合」
は、
「より重い責任を持つ人の意思や意見」
が、
「鶴の一声」
になりやすく、また、そうでもないことには、
「事態が進展しない」
という実体験を何度かしているからです。
ただし、
政治にしても経済にしても、
日本という共同体における意思決定プロセスには、
既得権益への配慮を主因とする制度疲労が激しくて、
「今の仕組みが続くとモノゴトの正常進化すら困難になるのでは?」
という危機意識も強く持っています。
責任者という立場に長居している人間の判断は、
常に立派で公明正大なものであるとは限らないどころか、
「徐々に汚濁していくのでは?」
という印象もあります。
また、
小さな組織の責任者の立場の経験を続けている身としては、
そもそも責任者にとってみると、
自分が思い切った判断を過去に積み重ねたことにより、
他の組織の中の人たちが、
「闊達に意見を表明することを躊躇する」
傾向が強くなってきている気がしなくもなく、
が標榜するような雰囲気が実現するのであれば、
この上なく素晴らしいと感じます。
や、
「処理水の風評被害」
や、
「LGBTQに関する話題」
や、
「障害児者の諸問題」
というのは、
「共同体の中で暮らす圧倒的少数派の人たちの人権をどう扱うか?」
という点においては、
似通った問題であると言える気がしていて、
そういう場合に少数派の当事者としては、
「共同体の意思決定プロセスに意見したい!」
という欲求が発生します。
そういった欲求を上手にすくい上げて、
全体の運営を随時軌道修正していくには、
「自律分散型組織」
の方が効率的かつ生産的で、また、
「個人間の意見の対立が目立たない」
のでスマートかも知れない、とも思います。
でもですね、いずれにしても大事なのは、
「意見を表明したり直言する際の他者への敬意」
を仕組みの中にビルトインすること、だと思うんですよね。
「匿名性を隠れ蓑にした暴言や暴挙」
を仕組みの中でどのようにして排除するか?
という議論がもっと盛り上がって欲しいと感じている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)なのでした。
自分の潜在意識や先入観が、
段々と古めかしくなってきている雰囲気も感じます。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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