ザカタキ! 第7187号 -世代交代-

★2025年9月23日(火)t-7187号★

チャオです〜!
おはようございます。

「フレッシュ」

ではない、ミチオさんです。

昨日は、

「国立循環器病研究センター病院」

へ、愛息と妻の三人で行ってきました。

愛息が生まれる前からお世話になっていた、
私より一つ年上の

小児循環器内科

の担当医の先生が独立開業したので、
愛息を担当する先生が今回から交代しましたが、
新鮮でありながらも安息感を備えた雰囲気の若い先生で、
とても安心しました。

愛息が生まれてから10年以上経過して、
病院自体が移転して新しくなりましたし、
移植や手術などの治療のあり方、周辺事情もアップデートが繰り返され

「全体的な新陳代謝」

を感じました。

大阪への往復の道中は、

コテンラジオの教育の歴史

を聞いていて、

中世ヨーロッパでは子供という概念自体がなかった

という学説に度肝を抜かれつつ、
多産多死社会の中で形成される人間の考え方と、
少産少死社会の中で形成される人間の考え方には、
自ずと大きな違いがあるだろうなぁ、とも感じました。

多産多死社会は、出生率と死亡率の両方が高い状態の社会で、少産少死社会は、出生率と死亡率の両方が低い状態の社会です。これらの変化は「人口転換」という現象で、近代化・経済発展に伴い、多くの国で多産多死→多産少死→少産少死という順序で人口構造が変化します。
日本は、明治維新以前が多産多死、明治時代から昭和半ばまでが多産少死、そして昭和半ば以降が少産少死の段階で、現在では少産少死の段階にあります。
長寿化と少子化が進み将来的には、出生数が死亡数を下回り、人口が減少する「少産多死社会」に突入することが予測されています。

ということなので、善悪の判断は別にして、

「少産多死社会」

において、人間の

「生きる」

ことへの考え方は大きく変化するだろうと思います。

現在の社会では、

「個人が死ぬ自由や権利は語ることさえタブー視」

される傾向がありますが、
この倫理観が今後、かなり揺れ動くだろうと推察した、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。

いずれにしても、

「智朗(ともろう)」

は毎日、頑張って呼吸しながら懸命に生きています。

+---
*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
Copyright(C) 2025 TAKIPAPER
-

カテゴリ:ともろう, 社会

月別アーカイブ

カテゴリ別アーカイブ

top
top