★2024年6月28日(金)t-6736号★
チャオです〜!
おはようございます。
「ウロチョロ」
する、ミチオさんです。
昨日は単身で車を運転して奈良県にやってきて、
さんを見学した後、
「ペーパル」
さんで商談しまして東吉野村に移動して、
「オフィスキャンプ」
さんの坂本さんご家族と懇談させていただいて、
「奥大和ビール」
で今、これを書いています。
完全に自分の自由意志に基づく行動の結果として、
今、ここにいると思ってはいるものの、
遡るとどこまで続くか分からない、
私を取り巻く数々の血縁や近隣関係の人たちが過去に織り成した、
「縁の綾の妙」
によって導かれるようにやって来たような感覚もあって、
自分の語彙の中からあえて抽出するとしたら、
「恐れ多い」
という気分です。
なんと申しますか、私の名前は、
「道生」
で、命名したのは父親であり、
歴史上の人物である、斎藤道三という名前に父親が、
「ピン!」
ときたのがその由縁である、と聞いてますが、
なぜ道の後に、
「生」
という字にしたのか?とか、そもそもなぜ
「ピン!」
と来たのか、みたいなことを考え始めるとキリがないわけです。
でも、その
「ピン!」
には、
父親に遺伝子レベルで刻まれた何かしらの回路が、
まあ、それなりに関与していると思われるわけで、
その息子である私は、
道を生きる、とか、道で生まれる、とか、
そういう言葉が持つ意味性と、
物心ついた時からお付き合いを続けていて、
人生をトボトボと歩んでいたら、いつの間にか
の近くに躍り出た感じで、
ここに来たのは偶然かも知れないけれど、
「自分まで続いた血脈の作用」
があったかも知れない気がなんとなくしてきます。
私が生きているのは、
過去の人たちがそれぞれに生きた道筋の結果であって、
生きている人同士が巡り合うのは、
そういう連綿とした道筋が交錯したり混ざったりすることとも言える、
と思うんですよね。
「恐れ多い」
という私が発した言葉の
「恐れ」
とは、
「単純に怖い」
という感覚も混ざってはいますが、
自分一人の力では動かすことも触ることさえもできなそうな、
形而上の何かが今も自分の直近にある不可思議さが多分にあって、
「その不可思議さへの期待」
もかなり混ざっています。
で、この
「恐れ多い」
という感覚は、戦地に赴いた祖父や、
戦争や地震の災難をくぐり抜けた祖母が、
当時に感じた感覚を、
だいぶ薄まりながらも疑似体験しているのかも?
というようなことも思いました。
なので、私の
「恐れ多い」
という言葉は、
「将来を見通そうとすることと過去を見渡すことの間にある同時同義性」
に言い換えることが出来るのかも知れません。
いずれにしても、
結果として自分の想像の中で過去の存在との対話を試みた気がしている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。
他者との会話や対話と自己の内省との間をつなぐ道筋の上でこそ、
思慮やアイデアや閃きは活発に往来するのかも?
という感覚もございます。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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