ザカタキ! 第5265号 -ア〜ノクタラ-

★2020年6月9日(火)t-5265号★

チャオです〜!
こんばんは。

「悟り」

は遠いミチオさんです。

御経を読んだり聞いたりしていると、

「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」

という文言が頻繁に出て来て、
何かと思ったら、デジタル大辞林では、

「仏語。仏の悟り。一切の真理をあまねく知った最上智慧(ちえ)。真理を悟った境地。」

となっていました。

百科事典マイペディアでは、

「サンスクリットanuttara-samyak-sambodhiの音写。
無上正等覚(しょうとうかく)と訳し,仏の悟りの智慧(ちえ)のことで,この上なくすぐれ,
平等円満である。また仏の尊称でもある。」

となっています。

ただ、あくまで私の想像ですが、
そういう境地に至った人が居たとして、

「俺は悟ったのである!」

みたいに、

「周りの人に言って歩くことはしない」

と思うんですよね。

例えば阪神大震災と東日本大震災の両方に遭って、
その過程で家族や友人を失われて、
そして今回の感染症の騒動においても苦境に立たれている、
という人が、やっぱり実在すると思うんですが、
そういう境遇の方が、
今も自分なりにできることに取り組まれているとしたら、
その態度こそ、

「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」

なのではないか??
と考えました。

「悟り」

というのは、

「博識の積み重ね」

とは別だけど無縁ではなく、
そういう至上のアイデア的なものが実在するとしたら、

「一体どういうものだろう?」

と常に自分に問いかけながら生きようとする、

「心の態度」

のようなものであり、周りの人にも

「自然と影響を与えてしまうような振る舞い」

なのでは?と、今のところはそう考えている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。

なので、

「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」

は、

「どちらかというと動的なもの」

ではなかろうか?と思います。


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何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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