★2016年7月26日(火)t-3863号★
チャオです〜!
こんばんわ。
「立ち止まる」
ミチビッチです。
「重度の障害を抱える人達の施設で起こった凶行」
については、
「ミチーム」
としても、
色んな意味で他人事ではなく、
様々な角度から考えさせられております。
まず、
「社会の公器」
として、
障害者の世話を肉親に替わってやってくれる施設がある、
という事自体、
現実に障害者の家族が居る私としては、
とてもありがたいことです。
私や妻に何かあった時、
それでも愛息、
「智朗(ともろう)」
が
「どのようなカタチであれ生きれる」
道筋が社会的な仕組みとして、
ビルトインされているのは、
今はそんなに意識して居ませんが、
日々の暮らしの中での安心を、
もたらしてくれている気もします。
それでもやはり、今の
「ミチーム」
にとって、そういった施設は、
本当に困った時の、
究極の最終手段です。
犯人の方が、
障害を抱える人達の事を
「厄介事としてしか捉えていなかった」
様に思われる事も辛いですし、
「施設に障害を抱えた肉親を預ける」
という決断をしたご家族の経緯が、
色々と多数あったと想定される事も、
また辛いです。
重度・重複障害であっても、
「伸びしろがある」
というのは、
「ミチーム」
がリハビリに取り組んでいるこれまでの過程で、
事実として経験していますし、
「智朗(ともろう)」
と同じようなリハビリプログラムに取り組んでいる、
30歳の人が居るんですが、
その方も何かしらの成果が出ていると、
聞いています。
個人的には、
障害と寄り添う生活を送るうえでの、
大きな解決の糸口は、
「自力でやれる事の最大化」
のように感じています。
小さくても何でも良いので、
一人で出来る事を増やして行く事が、
「未来の不安を期待へと転換させる」
ことにつながる気がします。
障害のある人達を、
一カ所に集めてまとめてお世話をする、
というのも、
効率性を考えた問題解決策だと思うんですが、
家族という単位で暮らしていけている期間を、
障害を抱える人が個人で自立して社会生活を
営める準備をする期間にあてる、みたいな
「伸びしろを伸ばす」
ような行政の支援のあり方が、
僕は良いと思いますし、
「伸びしろを見ようとしない」
ような基本姿勢が、
日本の社会全般にこびりついている気がして、
「障害者をなめてる」
というよりは、
「人間の可能性をなめてる」
雰囲気を感じている、
タキペーパーダイレクト店長、
プレドラグ・ミチビッチでございます。
なんとか、
その認識の根底を揺さぶってやりたいと、
思っては居るのです。
+---
*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
Copyright(C) 2016 TAKIPAPER
-+-