★2016年7月12日(火)t-3849号★
チャオです〜!
こんばんわ。
「バリアフリー」
で居たいミチビッチです。
に参加していますと、よく分かるのが、
「障害の多様性」
であります。
我が家のように、
移動も食事も排泄も入浴も、
自力では出来ない状態の障害もあれば、
歩けるし、走れるし、喋れるし、
トイレも自分で行けるけれども、
後片付けが苦手だったり、
長い時間集中力が続かなかったりで、
「学校」
とかの他の人間が存在する状況で、
「人間の集合体に馴染めない」
というような障害もあるわけです。
逆に言うと、愛息
「智朗(ともろう)」
が今の状態から著しく進歩して、
歩いて喋って、
色んな事が一人で出来るようになっても、
「大勢の人とは様子が違うやり方」
で何かをするようだと、人間の集団の中では、
「排他的に扱われる」
だったり、
「疎外感を味わう」
だったりするような事が発生しそうです。
しかも、冷静に考えますと、
一人だけ妙な行動をした場合、
同じ集団の他の人達が、
「違和感」
を覚えるのは、
それはそれで普通の反応であり、
良い悪いで語れない分野だなとも思います。
これまでに愛息
「智朗(ともろう)」
は、他の人達は普通に出来ているのに、
自分には出来そうな気配もないという、
孤独な苦境の中で、
「なんとかできるようになった事」
をゆっくりと積み上げてきましたけれども、
愛息がどういう状態から積み上げを始めたかを知らない他者からは、
その積層は多分薄いわけで、
他のお子さんが出来ることと、
愛息が出来ることを単純に比べたら、
まあ、見劣りするというのも事実ですので、
「他の人達と比べたり比べられたりしない環境」
である今のリハビリ生活を、
義務教育の年齢を迎えた後も続行するのも、
有力な選択肢だと思い始めている、
タキペーパーダイレクト店長、
プレドラグ・ミチビッチでございます。
「たとえ薄くても眩しく輝いてると思いません?」
と付け加えるのが、
私が考える親の役目です。
+---
*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
Copyright(C) 2016 TAKIPAPER
-+-