★2016年6月28日(火)t-3835号★
チャオです〜!
こんばんわ。
「包まれる」
ミチビッチです。
を読んでいます。
愛息、
「智朗(ともろう)」
も再来年に、
「小学校に入学」
する年齢に達する次第です。
入学が現実味を帯びて来て、
ある程度健康を維持できて良かった、
という気持ちがまずはあります。
けれども、現実的に、
「近所の小学校に入学」
というのは、本人にとって、
「学びの機会として機能するのか?」
また、
周りの子供さんや先生方と、
「どう関わり合って行けるのか?」
という部分に大きな不安があり、
かと言って、
「特別支援学校」
さんに入れてもらっても、
「ほぼ放置」
されそうな気配もあり、じゃあ、
「ずっと家でリハビリを続けるのか?」
というところで、
迷っている次第です。
「本人にとって最も効果的な学びの機会」
という判断基準を軸に、
検討を進めてますけど、
を読んでいて、
私が知らず知らずのうちに、
「愛息は障害児」
であり、
「普通の元気なお子さん達は健常児」
である、みたいな、
「見えない壁」
を心の中に築いてしまっていたことに、
気付きました。
愛息、
「智朗(ともろう)」
が、我々に文字盤を通して伝えて来る意思には、
障害が有る無しは別にして、個人としての
「滝智朗の思い」
が感じられるわけであり、
その思いを汲み取って行くには、
どうすれば良いのかを、
「ミチーム一丸となって」
じっくり考えたいと思う、
タキペーパーダイレクト店長、
プレドラグ・ミチビッチなのでした。
普通の学校に行ったら、
疎外感を味わいそうだけれども、
かと言って、
「優しく包まれる」
ことだけが学びだとも思わないのでありました。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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