ザカタキ! 第6817号 -敬老敬生-

★2024年9月17日(火)t-6817号★

チャオです〜!
おはようございます。

「敬うからこそ」

ミチオさんです。

昨日の、

「敬老の日」

は、

病院ラジオ

を見て、愛息と、

天空の城ラピュタ

を見て、家族みんなで、

団地のふたり

を見ました。

「生きることの尊厳」

や、

「困難に寄り添う優しさ」

がそれぞれに表現されている中身で、
とても考えさせられました。

例えば私は、
両親や祖父母を尊敬する気持ちが強いわけですが、
それは戦中戦後の困難な時代を経て育ててくれたという、

「恩義」

を実感しているからです。

ただ今後父親が、
私が誰かも、自分自身が誰かも分からなくなり、
1日に何度食事をしても、

「腹減った!ご飯はまだか?」

みたいなことを言うようになったら、
尊敬する気持ちはどんどん減損していくと思います。

65歳以上の5人に一人が認知症になる

と言われていますし、
見通し的にはかなり厄介だと言えるとも思います。

「敬老」

が、老いを敬うと言う意味だとすると、
現実的に老いた人全てを社会全体で敬うことは難しい状況だと、
個人的には感じていますし、

「敬老」

は老人が少数派だった時代の言葉だというのが私見です。

そしてそう言っている私だって、
認知症のリスクを抱えているわけで、

認知症予防

を若い時期から一人一人が心がけることがまずは大事なのだろうと思います。

また、
認知機能が著しく衰え心身の回復も見込めないような状況を迎えた人には、
その人のそれまでの人生の尊厳を守ると言う意味でも、

「尊厳死が社会的に容認される必要性がある」

と個人的には重めに感じています。

「認知機能が著しく衰え心身の回復も見込めない」

と言う状況を誰がどのように判断するのか?
については、喧々諤々の論争が発生しそうですが、
現在の日本社会を生きる我々が、
後世の人たちが更に生きていくための光明を見出すためには、

「回避してはいけない命題」

のように感じています。

「敬老」

という言葉はそもそも、生きることを敬う意味での、

「敬生」

という意識が前提にあって生まれたものだと考えている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。

日本語でいう経済は、

経世済民

にルーツがあって民を救うという意味があり、今のような、

「競争のための競争」

みたいなイメージの対極に位置することも、
含蓄にあふれている気がします。

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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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