ザカタキ! 第4856号 -ダニデス-

★2019年4月27日(土)t-4856号★

チャオです〜!
こんばんは。

「虫食い」

のミチオさんです。

愛息は無事退院して、

「ミチーム」

3人衆に姪を加えて4人で、
福井に帰ってきました。

途中、高速道路が混んでいたので、
舞鶴若狭自動車道へ迂回して、

味夢の里

で、

「カツ丼とラーメン一杯ずつ」

を愛息を除く3人で分け合って食べて、

「ちょっとした行楽気分」

と共にその味わいを楽しみました。

入院中にできた愛息の

「痣」

の原因は、結局のところ

「ダニではないか?」

との見解をいつもお世話になっている主治医の先生から聞きまして、

「なんだか誰も悪くない的な方向の結論に落ち着きますね」

と、チクリと申し上げたわけですけど、
他の医療スタッフ間でも、
ダニの被害の報告が複数あるらしく、
抜本的な対策としては、

「新築移転」

が位置付けられるので、
この痣の議論は我々の間で静かに収束していきそうです。

なにも医療機関で発生した案件に限らないですが、

「なってしまったこと、起こってしまったこと」

に関しては、基本的に、

「受け入れるしかない」

のかなぁ…、と考えさせられました。

心情的に容認できそうもないことであっても、

「時計の針は戻せない」

わけですからね…。

長短はあっても、

「残された生きる時間は限られている」

ということは誰にも言えることで、
特に病気を経験したり、
命の明滅の現場を体験すると、
そのことの現実感が高まります。

「よく生きる」

とは、自己決定や選択の幅を広げたり、
できないことができるようになったりすることで、
時間の流れを楽しく感じれることだと、
個人的には思います。

「自分に残された時間をよりよく生きたい」

という願望は、
ほぼ全ての人に当てはまると想定されますが、
社会的な立場が強く自己の選択の自由の幅が広すぎる人は、

「かえって満たされない」

感覚が出てきますし、
社会的な立場が確固とせず生活もままならない人は、

「よく生きたい、なんて発信する余力さえない」

状態が考えられますので、

「全ての人がよく生きる」

のは、社会的に調整困難な命題なのだとも感じます。

「残された時間を楽しく過ごす」

というのは、
思ったよりもややこしく難しいことでしょうけど、
とにもかくにも、

「重箱の隅をつつく」

みたいな問題意識は、なるべく持たないようにして、

「楽しむ」

ことを心がけたいと感じる、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)なのでした。

車の中から見えた山々の木々が、剪定とか全くしていなくても

「すごく美しく見えた」

理由がなんとなく見え隠れしつつ、
掴めそうで掴めない気がするのです。


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何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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