★2019年4月9日(火)t-4838号★
チャオです〜!
こんばんは。
「葛藤」
するミチオさんです。
そのぅ、
「津久井やまゆり園事件」
の犯人の考えとか、
「人工透析」
にまつわる一連の騒動とかを見てますと、
「現場の本音と建前の錯綜」
みたいなものを感じる次第です。
やまゆり園の犯人の方が発したとされる、
「あなたはご自分の息子さんをいつまで生かしておくつもりですか?」
という問いは、
重い障害を持つ息子のいる私のような立場の人間には、
グサッと深く心に突進してくるようなものであり、
そして、個人的な現段階の回答としては、
「本人が望むまで生きていて欲しい」
ということなのですが、
この先、息子とともに加齢していくうちに、
その答えは変わっていくのかも知れないと思うと、
そこにまた、
「葛藤」
が芽生えるわけです。
「本人の意向」
というものが当事者の人生に最大限反映されるべきだ、
と思うので、そもそも私に、
「生かしておく権利」
は備わっていないとも思いますが、
仮に本人の意向を確認するのが困難な場合、
親や家族が、
「延命を優先」
して考えると、
現場で働く人たちに色々と無理が生じてきて、
それがまた、違う
「葛藤」
を生むのだろうと推察します。
社会的なリソースを考慮に入れますと、
心身の疾患を抱えた全ての人に延命処置をし、
誰かが世話をし続けるというのは、
到底無理なので、近い将来
「公共政策的な考え方や取り組み方の模範モデル」
が導入されると予想されますが、
「本人の意向」
をどのように可視化するか、
ということと、
立場の異なる人たちの間の中からの合意形成のあり方、
が、物凄く問題となってくると感じます。
「決めないことを決めた的な結論」
でもなく、
「暴力をテキスト化したような一方的な言論」
でもない何か、
ってどういう風に生まれるのかは全く分からない、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。
「現場に立たないと分からない」
とか、
「当事者にならないと分からない」
ということは頻繁に言われるわけですが、
全ての人が現場に立ち当事者になった時、
それはすなわち将棋でいう
「詰み」
の状況であるとも思うわけです。
+---
*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
Copyright(C) 2019 TAKIPAPER
-+-