★2016年3月29日(火)t-3744号★
チャオです〜!
こんばんわ。
「存在」
してるだけではミチビッチです。
愛息の
「智朗(ともろう)」
が、去年の夏に、
「存在の意義について本が読みたい」
と表明したことが在って、
何冊か哲学の入門解説書を読み聞かせました。
どうすることも出来ない理由によって、
他の人よりもとっても制限された生活をしている愛息にとって、
「何故自分がこの世に存在しているのか?」
は、とても大きなテーマなのだろうなと思い、
「智朗(ともろう)」
が身体的に不自由な生活をするようになった理由と経緯を、
自分なりに丁寧に説明して来たつもりです。
「存在理由」
「存在意義」
「生き甲斐」
「レゾンデートル」
「レーゾンデートル」
一連の言葉の説明としては、
...
哲学用語の一つ。他者との優劣比較により得られる相対的な「存在価値」に対し、
自己訴求によって得る絶対的な自己肯定の判断基準を指す。
...というような感じになっています。
ただ単に存在しているだけでは、
単なる存在であり、
そこに理由も意義もない気がします。
若くて生命力が強い健康体の人間の思春期は、
自分の生命について、
生きているのが当たり前であるからこそ、
無頓着になりがちで、
せっかく存在している自分や他者の生命について、
軽んじやすく、
私もそういう傾向が在ったように覚えています。
私の身近な友人が、
事故で突然亡くなってしまうという経験が在って、
私は、
「一度きりの人生」
ということに、
初めて気付かされることになったんですけど、
「智朗(ともろう)」
は、4歳ちょっとの今、
「一度きりの人生」
ということを、
思うように動かない身体をまとい、
深く見つめていのだと思います。
単なる
「存在」
に、
「価値」
や、
「理由」
や、
「意義」
を与えるためには何をしなければ行けないのか?
ということなんですが、
個人的には、
「主体性を持って能動的に生きる」
しかない気がします。
愛息、
「智朗(ともろう)」
が、どうやって
「主体性を持って能動的に生きる」
ように出来るのかについて、
「もがきながら一緒に考え、行動していく」
のが、我々
「ミチーム」
が存在する理由であると思う、
タキペーパーダイレクト店長、
プレドラグ・ミチビッチなんですよね...。
う〜っん、燃えるゼ!
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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