★2022年7月9日(土)t-6016号★
チャオです〜!
おはようございます。
「悲しいか?」
と問われた時にミチオさんです。
昨日は安部元首相が凶弾に倒れ、
緊急搬送された先の病院でお亡くなりになる、
という出来事がありました。
妻と愛息が入院中の病院に、
たまたまそういうタイミングで、
「ドクターヘリ」
が来たらしく妻が、
「安部さん搬送されて来たかも?」
とかわざわざ報告してきましたので、
「奈良県立医科大学に搬送された様子が中継されてます」
と、一応否定しておいたのが虚しかったです。
とある福井県の医師が、
「安部さんが死んでも誰も悲しまない」
と言う外来患者さんに直面して、
「ふざけるな。少なくとも俺は悲しんでいる。
人が死ぬということはそんなもんじゃない。
まして信条はともかく、一生懸命に生きた人に
そんなことを言うもんじゃない。」
と言ってしまった、という事例を、
やや反省しながらSNS上で吐露されているのが、
個人的にはとても印象的で、共鳴する部分が多いと感じました。
「感情的になってしまったのは、全ての人、
ましてや一生懸命に生きてきた人は、
どんな考え、行動だろうが、尊重されるべきで、
それを尊重しないのは、万人の人生そのものの否定、
死の畏怖に対する軽視を感じ、今までなくなっていった人が
浮かばれないとも感じたからだとも思う。」
ともその医師は書かれていて、
個人的には支持したいけれども、
「どんな考え、行動だろうが、」
の部分は世の中的には議論が紛糾しそうな気配を感じました。
安部元首相は、
52歳で我が国の総理大臣になったわけですから、
とんでもなく傑出した人物だと、
個人的には思います。
ただ仮に、
「日本という共同体全体に献身的に懸命に生きる時間がとても長かった」
と評した場合に、特に
「共同体全体に」
という部分において異論を挟む人は結構いそうであり、
他ならぬ私自身も、
「自分の生き方を度外視したら懐疑的な見方もできる」
とは思います。また、
「自衛官や教師や勤務医や会社員をはじめ、
いろんな場所で一生懸命生きてる人達は一杯いる」
わけで、そういった人達の中で、
「一生懸命さが報われていないように感じている人の多さ」
が、安部元首相への懐疑的な見方の源泉かも?と感じます。
いわゆる、
「もりかけ、とかアベノマスクとかの頃の世論の風潮」
と、昨日今日の世論的な動静を比較すると、
「そもそも世論に冷静で公正な判断基準がない」
ことが激しく浮き彫りになるようにも感じます。
今後デジタル化が目指すべきなのは、
「共同体の中に公正で可視的な判断基準を設定する」
ということであり、
「過去から現在までの『一生懸命』さが他の誰からも認識できる状態」
や、
「その一生懸命さが『報われている』か?を周囲が把握できる状態」
が身分や境遇を問わず、誰しもに備わっている必要があり、
「『一生懸命』とか『報われている』とかの言葉の定義」
については、
「継続的に共同体の中で合意形成が試みられていて頻繁にアップデートされる」
というようなことを妄想しました。
誰かが一生懸命になれていなかったら、
そっと寄り添い、
誰かが報われていなかったら、
原因を追求し改善する、
ということが積み重なって、
「共同体の多くの人が生まれてきて良かったと思える状態を維持する」
ことが、
「デジタルを上手に運用すれば可能なのでは?」
と割と本気で想像している、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)なのであります。
「デジタルに前向きな人に投票する人の多寡」
が、共同体の命運を握っている気がするんですよね。
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何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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