★2025年11月15日(土)t-7240号★
チャオです〜!
おはようございます。
「さん付け」
で、ミチオさんです。
もし私が妻を、
「おい!かずい!」
なんて呼び捨てにしようものなら、
その後の展開が全く読めないくらい、
「怖い」
ので、そういうことはしたことがございません。
また私のことを、
「みちお〜」
と呼び捨てする人は、
両親を除くと多くありません。
それっていうのは、
「よそよそしい態度でコミュニケーションを図ろうとする私の性質」
と関係があるんでしょうし、また、
「呼び捨てにされたら嫌」
的な雰囲気を私が出しているのかも知れません。
ではあるのですが、他の人の下の名前を、異性であっても
「当たり前のように爽やかに呼び捨て」
して、尚且つ、
「嫌味が全くない」
感じの人が、知り合いの中にも何人か居て、そういう人たちへ、
「そこはかとない憧れ」
を抱いている私なのです。
また、仲間内で下の名前を
「呼び捨てにされがちな人たちが持つ特有の愛嬌」
にも、
「そこはかとない憧れ」
を感じます。
見ることは出来ないですが、
「人間同士の心の距離感を察知するセンサー」
のようなものを誰しもが持っていて、
センサーの感度が高い人、
センサーの使い方が上手な人、
センサーに感知されやすい挙動が得意な人、
というのが存在するのかもなぁ…、
というのが個人的な仮説です。
で、人間が持つそういうセンサーを鍛える、というか、
上手な使い方の精度を上げていく、
ということも、個々人や共同体の
「調和」
には必要な気がしていて、
「漠然とした幸せ」
というのも、
そういった方向性の先にあるような気がする、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。
「チャン付け禁止!」
みたいなやり方ではなく、
さん付けで呼ばれようがちゃん付けで呼ばれようが、
「なんだか不快…」
に感じる、
「感覚を科学的に探求する」
ことが大事だと、私は思うわけです。
+---
*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
Copyright(C) 2025 TAKIPAPER
-