★2025年12月15日(月)t-7270号★
チャオです〜!
おはようございます。
「刑に処せられる」
ミチオさんです。
昨日、
を初めて見ました。
「踊る大捜査線シリーズ」
が昔からとても好きな私ですが、この
は、
「2012年公開」
で、
「2012年は智朗(ともろう)が生まれた我々にとって怒涛の年」
だったので、
映画を観に行くことも、
そういうことに興味関心を向けることさえもなく、
「今となっては前後の記憶すら曖昧」
な感じになってるのが感慨深かったです。
映画は、
「組織の論理が招く理不尽」
が大きなテーマになってる気がしましたが、
通り魔とか銃の乱射とかが、
各国で頻繁に巻き起こる昨今、
「刑罰の取り扱い」
についても考えさせられました。
「死刑」
があるけど警察官による発砲・銃殺の運用は、
極めて抑制的な日本と、
「死刑制度を廃止」
しているけど、発砲・銃殺が頻繁に起こる、
欧州の国々を安易に比較することは難しいと思いますが、
個人的には、
「死刑制度肯定派」
です。し、
を聞いてからは、むしろ更に死刑制度への肯定感が高まっています。
江戸時代の武士は、
「物凄く理不尽な理由で切腹することがままあった」
とのことで、
「生き残るためには様々な非言語的要素や関係者の力関係を推察する」
ことが必要だったらしく、
「生きづらさ全開!」
な雰囲気が想定されるんですが、
仮に我が国において死刑制度を全廃してしまったら、
「我が国における歴史的経緯や先人たちの艱難辛苦を軽視」
し、
「他国の標準に安易に与する」
感じがして、私としてはなんとも言えない違和感を感じるわけです。
賛否両論あるのは分かりますけど、
「死刑廃止論の主訴の一つ」
である
「冤罪を根絶することが困難」
みたいなことって、
「明らかに冤罪ではない凶悪案件」
においては
「全くの例外」
だと思うんですが、ひっくるめて、
話がややこしくなるほど結論が出にくい、
ということなのかなぁ、と感じます。
いずれにしても、
「切腹という伝統的な風習を持つ我が国」
を肯定的に捉えている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)であります。
「人権は社会的リソースという制約の中で議論されるべき」
というのが私の主訴です。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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