★2025年12月11日(木)t-7266号★
チャオです〜!
おはようございます。
「専門的」
に、ミチオさんです。
の行方は未だに混沌としていて、
我が越前市の現職市長である、
「山田賢一市長」
が、
「有力者の方々の要請を受けて出馬の意向を…」
というようなテレビ報道が昨日ありました。
福井県に限らずだと思いますが、
様々な課題が山積し、
関係する有力者の利害が対立していたり、
高度な法制上の理解と運用が必要だったりする局面が、
日本中、あるいは世界中にありふれた状況ですので、
「単に人気者で資金的余裕がある人」
が、首長を担ったとしても、
「混乱が増すだけでは?」
という懸念はある、と考えます。
その一方で、
現代の民主的国民国家である日本においての問題が、
官僚や官僚出身の政治家たちが、
「様々な法制上の高度な解釈論・テクニック論を持ち出す」
ことによる、
「事態の混迷と停滞」
だと、個人的には感じています。
「官僚主義国家がたどる筋道を歴史から紐解く」
という文言でAI検索したら、
歴史から紐解くと、官僚主義国家は、秩序と効率性の追求から始まり、
一定の成功を収めます。しかし、柔軟性の欠如、硬直化、非効率といった
弊害が肥大化すると、社会の変化に適応できなくなり、その存続が危うくなる
という共通の筋道をたどることが多いと言えます。
との答えが返ってきて、
言い得て妙だなぁ、と感じました。
「社会の変化に柔軟に適応するにはむしろ共同体の舵取りは専制主義的であった方が望ましいのか?」
という矛盾に満ちた疑問を、
私に限らず多くの人がそれなりに感じていると想像しています。
官僚の仕事を遂行できるような人たちは、
総じて優秀、有能だと思うんですが、
「必ずしも優秀、有能ではないけれども共同体の成員である多くの人たちへの実体験的想像力が薄い」
というのが個人的な見立てで、
逆に言うと、そのような側面を解消していくことで、
「官僚主義と専制主義のいいとこ取りが可能なのかも?」
という仮説を抱いている、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)でございます。
「受験偏重教育を改める」
で検索をかけたら、
「それなりになるほどなぁ…という文言」
をAIが綴ってはくれました。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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