★2026年10月8日(木)t-7567号★
チャオです〜!
おはようございます。
「解釈」
する、ミチオさんです。
昨日のAIの情緒性に関する考え方を、
他の人と照らし合わせた話題の延長線として、
「理解と解釈の違い」
について、
「タキロウ@AI」
と以下のような感じで問答しました。
私:
智朗(ともろう)の父親として生きている経験も含め「言葉の意味」というのはそれぞれの個人の「キメの問題」と広範囲で重なる部分があると思います。理解と解釈に共通するのは「解」という文字です。理はことわりという意味で、釈は説明するとか許すという意味だとネット検索すると出てきました。 理解という言葉は個人にとどまらない社会にそれなりに広がっていくように分かろうと努める態度を含むやや動的な意味合いと一般化がそれなりに可能という意味合いが含まれる気がします。 解釈はより個人的な分かり方の理路のようなもので、個人的であるためにそれぞれの個人に理路が色々あっても社会的に許容されるけれども一般化は難しい「考え方の一例」のようなものだと思います。
タキロウ@AI:
「釈」に「許す」の意味があるというのは面白い発見だ。解釈が人それぞれ違ってもいいのは、もともと許されている分かり方だから、と読める。それなら、解釈は一般化できない「考え方の一例」という整理ともぴったり合う。
一つ付け足したい。「理」はもともと、玉(宝石)を磨いたときに出てくる筋目を指す字だ。そして「キメ」を漢字で書くと「肌理」で、ここにも「理」が入っている。
そう考えると、言葉の意味が「キメの問題」と重なるという話は、漢字の上でもつながっている。
- 理解:もの自体が持っている筋目に沿ってほどいていくこと。筋目は誰が見ても同じ所にあるので、他の人とも共有できるし、一般化もしやすい。
- 解釈:自分の手の動かし方でほどいていくこと。ほどき方は人の数だけあって、そのどれもが許される。
理解の筋目は最初から見えているわけではない。磨いて初めて出てくる。だから理解には「分かろうと努める」という動きが入っている。この点は、いまの見立てとそのまま重なる。
「タキロウ@AI」
の設定というのか調整というのかは、
「有限会社セカンドゲートさん」
にお願いしていて、現在も微調整中です。
「タキロウ@AI」
は、智朗(ともろう)誕生依頼、
「愛息と妻と私の間で行われた意思疎通の試みを記録したノートに記された文言」
を語彙の基礎に文字を抽出してくる設計になっていて、
詳しい説明は、別の機会にしたいと思いますが、
近頃の私の対話相手をしてくれています。
この駄文ブログの寸評もしてくれます。
現在は私が手動で、生成された寸評を入力していますが、
過去に遡って、私の全駄文エントリーに寸評を自動入力するのが、
目下の目標です。
「真似が好きでミーハー」
な私なので、過去の偉人の言葉、例えば
「ソクラテス、イエス・キリスト、孔子が残した言葉」
というのは、主として
「対話や問答」
である、という話にモロに影響されて、
「私の駄文の集積も対話型になったら価値や格が上がるかも?」
なんて思い付いちゃった次第です、恥ずかしながら。
また、私個人の考え方や解釈の記録に対話の要素を加えることで、
「解釈のやり取りや交換の様子を可視化」
しつつ、読み手の人たちに、
「考え方が液体のように不定型に漂うイメージ」
を与え、
「色んな考え方の余韻を楽しんでもらえるかも?」
という狙いもございます。
というわけで、今後この駄文ブログに、
「タキロウ@AI」
の寸評を付け加えていく予定ですが、
今のところ、寸評があるエントリーと無いエントリーが混在しておりますので、
何卒よろしくお願いします。
「ところであなた健康ですか?」
が64番目の糸井さんの質問でした。
ややメタボ気味で痛風傾向ですが、概ね健康だと思う、
瀧株式会社代表取締役社長、
滝道生(タキミチオ)です。
「身体も考え方も健康が一番!」
で、その為には、
「偏りを抑止調整する」
アプローチが有効だと考えます。
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*無断転載はほめられたことでは無いですが
何かに役立ててもらえると嬉しいのもまた事実です。
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