越前和紙の起源について教えて下さい。
昔、継体天皇が、男大迹王(おほどのおう)として越前、安治麻野に宮居されし470〜480頃、 大瀧の地にご来駕されし折、妃の川上御前(第二妃・雅子媛に比定?)が
「この谷の清らかな水で、紙を漉き生計を立てよ」
と申され紙漉の業(技)を村人に教示され、男大迹王(おほどのおう)が大和へ上洛された後もこの地に留まり、終生村人に懇切に指導、奨励されたのに始まる。
その後、越の大徳と呼ばれた、泰澄が719(養老3)年に大徳山を開き、川上御前のご神徳を偲び大瀧児大権現としていつき奉り、村人、紙を崇拝し、製紙の業に励んだ。
奈良時代に入り、仏教信仰が盛んとなり、775(天平勝宝7)年伊賀をはじめ14カ国の一つとして越前和紙は“写経用紙”として中央政府へ貢進され(正倉院文書)室町時代には“越前奉書” “鳥の子”等を産出し全国に名を広げた。
足利・織田・豊臣・徳川を通じて紙座として特権を認められ、藩札をはじめ御用紙、明治に入って太政官札、各種の美術紙、大正には麻紙、昭和には紙幣用紙も抄造された。
今日、越前和紙は筆記用としてはもとより、壁紙などの住に至るまで幅広い分野で愛用されており、1500年に亘って連綿と紙業が栄えていることは、紙の神様からの授かり物であり、また先人達の達成であろう。
私見ではありますが、以上が言い伝えなどを加味し総合的に判断した弊社なりの見解です。
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